2014年6月5日木曜日

4歳半の息子がようやく母乳卒業~我ながら頑張った。。自分で自分を褒めてあげたい。

「僕、もうおっぱい飲まない!」6月2日月曜日の夜、息子が突然言いました。

今までも何度か言ったことがあったセリフだったので、「あら、そう?」と気にも留めずに答えた私。

そういいながら、ちょっとするとすぐに「おっぱい~~」とへばりついてくる息子だったので、せいぜい明日になればへばりつくと思っていたのです。

ところが、次の日の夜になっても飲みません。

「へええ・・・本当に飲まないんだ?」

「うん、飲まない。」

「偉いねえ、じょうくん。じゃあ、最後におっぱいにお礼を言いなさい。」

すると息子はニコニコ顔でおっぱいに向かい合い、

「おっぱい、今までどうもありがとう!」ときちんとお礼を言い、その後二度と飲まなくなりました。

育児本で、よくそう言ってお別れする子供のエピソードが書かれていたけれど、本当にそうなんだ。

なんだか、ちょっと感動でした。

水曜日の夜、まだ少し張って痛いので(本当にわたしのはよく機能してくれました)、お風呂で絞って出していても、「もう僕飲まないんだ」と触ろうともしません。

飲んでいたころは、特に大きくなってからは、おもちゃのようにしていじって遊ぶので、息子ながらも時々不快で「いい加減にしなさい!」と怒っていたのですが、それもぴたりと止めました。

なんだか、ほっとしたような、気が抜けたような。

でもよく頑張った。自分で自分を褒めてあげたい。

刑事告訴を受けた当初は、初めに相談した弁護士さんに真っ先に聞いた質問が、

「万一、刑務所行きになったら、困ります。私の息子はまだ母乳を飲んでいて、あと2年飲むつもりでいるのです!起訴されて裁判になり、有罪になって、最高裁まで上訴した場合、どのくらいかかりますか?」

「3年はかかるでしょう。だから母乳の心配はないですよ」と弁護士さん。

だから母乳の心配はなくなりました。

と言っても、シングルマザーの私にとって「突然逮捕され、子供と引き離されるのは一番の恐怖」であることには間違いありません。これから秘密保護法も施行されますし、その時には命を懸けて世界拡散し、抵抗するつもりです。

 
大田元知事の事務所開きの日にも母乳を飲もうと飛びつく息子


 
授乳用のシャツ。便利でこんな風にすっぽり子供が入り、隠せる。
私のスカーフはめちゃくちゃ (おしゃれなどしていられません)


飲み終わるとすぐいたずらに走る。
 
 
息子と沖縄の作曲家の方と大田元知事

***

それにしても忘れもしません。私のお産は本当にまれにみる難産でした。

15分おきの陣痛がなんと数日間も続いているにもかかわらず、お産が進まず、とうとう分娩誘発剤を投与され始めました。投与開始したころに来た昼間の看護婦さんはどちらかというとスパルタで、私に「スクワットをやって、お産を進ませなければなりません!」と即しました。

「ひえええ・・・」と思いつつも、重たい体でスクワット。ベッドの棒に捕まりながら、1,2、と。。

それでもなかなか進まず、夜になっていやな予感がした私は急遽、看護婦さんを読んで「分娩誘発剤の投与を今すぐ止めて下さい。そして手術に切り替えて下さい」と無理を頼んだのでした。

この時の感覚は何とも説明がつきません。陣痛が数日間続いて15分以上続けてその間は寝ていませんから、もうろうとした意識の中、急になんとも言えない不安感に襲われました。

はっきりした意識がないのですが、なにかゴーンとお寺の鐘の鳴る音のようなものが聞こえた気がしました。

おかしな話ですが、その鐘の音が聞こえたと思ったその瞬間、本能的に、「即刻、あの分娩誘発剤の点滴を止めなければ!」と思ったのです。

ちょうど看護婦さんが交代になり、いつも頼りにしていた方がいらして(スクワットの看護婦さんだったら怖くて尋ねられなかったかも。。。)、相談してみました。

その看護婦さんから婦長さんに連絡、優しい感じの婦長さんが私のところに話を聞きに来ました。

「先生、もう陣痛も何日も続いていますし、私はへとへとなんです。正直なところ、自信がまったくありません。年ですし、自然分娩は無理だと自分の体がそういっているような気がします。どうか、誘発剤を止めて、手術に切り替えて下さい。」

婦長さんは理解のある方で、私の話をよく聞いてくださいました。「そうね、、、お産は本当に大変で、ここで働いている看護婦さんだって、患者さんを普段励ましていても、自分の番になると、『もう私ダメ!!』と叫んだりするものです。あなたのことは医師に伝えて見ましょう」

夜若い女性医師が来て、私はなんとか頼み込み(私は丸顔なので、へとへとでも当初、まだいけそうだと見た目では思われていたようです。。。)、手術にするための書類を手にしました。

週末だったので、なんと執刀はすぐできず、明日になるとのこと。しかし書類にもサインをしないとその執刀医の手配も明日に間に合わないとのことで、ぎりぎりセーフで書類をサインし、明日の手術を待つことにしました。

誘発剤を止めてからは、執刀医が来るまでは、ただひたすらお産が進まないことを祈り(動くと進んでしまうのです。。。)、なるべくじっとしていました。

とにかく寝不足もひどかったし、お産も進んでほしくなかったのもあり、看護婦さんに少しうとうと体を休める薬もいただきました。

翌日、本当にたとえて言うと、自分の体がトマトになって、今にもそのトマトが破裂しそうな陣痛の中で、とにかくじっと耐え、お産が進まないことばかりを祈り、体をこわばらせてじっとしていました。

そう、誰も言わないので不思議なのですが、陣痛というのはまるで、大便が1000個いっぺんに体から出てくるような感覚です。

赤ちゃんの重さが3000gで大便ひとつが今調べたら平均150g。まあ、単純に計算すれば20倍なのですが、20個いっぺんに出てきても、破裂しそうな感覚になると思います。

インターバルにはケロッとしているのですが、陣痛が来た時には、体がガタガタ震え、本当に、トマトがつぶれるように、ぶちゅっといってしまうのではないかと、そういう感覚になります。
(のちにもう少しで私は本当にその状態になっていたことがわかりました。)

なかなか医師が来たと言う連絡が来ない。

個室の中で、本当にゆっくりゆっくり時間が過ぎるのを耐えてひたすら待っていました。

午後3時ころ、やっと手術台へ。そして部分麻酔。(本当に心の中で、早く早くと祈っていました。。。)

子宮口は10cm開いてお産が始まりますが、私は既に9cm。

「まあ、もう9cm。自然分娩でも行けたかもね。」という医師の言葉も束の間。

麻酔が効いて開腹すると、医師は一言、こう言いました。

「あなた、ラッキーだったわ。切迫子宮破裂になっていました。このままだったら母子ともに危なかったわ。」




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